khtatuのスポーツブログ

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昨日(12/4)放送の英語でしゃべらナイト。

波田陽区長井秀和、パックンマックンがアメリカ人の前でお笑いを英語でやると言う・・。その中で桂枝雀が英語の落語に取り組んだことを話していた。そうだなー。英語で落語をやることに意味があるのか。日本語での行き詰まり??国際的な笑いの追及??分からないが。まあ面白い試みだったのですが。笑いはローカルなもの。エンターティンメントはローカルなものじゃないの。特に笑いは言葉と密接な関係にあり。文化も言葉によってのローカルな意味のあるものへとなっていくように思うけど。渥美清が若いころアメリカへ行って(確かブロードウエイだと思うけど)。学ぶものは何もない。といっていたとか。何もないというわけじゃなく。得るものは有ったが、結局日本とアメリカのエンターテインメントは別物だと言うことが分かったと言う意味じゃないのか。
枝雀さんのしたことは何のためだろう。彼ぐらいなら英語の落語の意味って決して落語の挑戦と言う意味合いのものと言うわけでなく、落語と言う、伝統と切り離せないもの。クラシックの演奏のように本来あるものから逸脱できないものを感じて、閉塞状況を打破したかったんじゃないのか?
それほど落語に対する取り組みが真剣で、彼の中では落語のある意味での限界を感じてたんじゃないのか??
まあすべて推測なのです・・。古典に現代の味を吹き込む・・。困難なことでは有るけど。談志師匠も試みているのですが・・。
枝雀さんの心の中をはかることは出来ないけれど・・。亡くなられたのは今思うと残念だなー。