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朝日新聞昭和史再訪より「年100日合宿、札幌に虹かけた」

  • 朝日新聞昭和史再訪より「年100日合宿、札幌に虹かけた」

編集昭和47年(1972年)2月6日日の丸飛行隊メダル独占

札幌市の中心部から車で20分の宮の森ジャンプ競技場、この日札幌オリンピックの70メートルジャンプ競技が行われ日本勢がメダルを独占した。笠谷幸夫(金)、金野昭次(銀)、青地清二(銅)。日本としては冬季では初めて。

日本での初の冬のオリンピック開催が決まった1966年。国を挙げての前例のない選手強化が行われてきたが、その前のグルノーブル五輪(68年)で日本勢は6位以内の入賞なしと振るわなかった。その時に2度目の五輪出場だった笠谷さんも70メートル級23位、90メートル級20位と振るわなかった。選手生活はそれで最後と思っていた。

ところが札幌五輪強化選手に選ばれた。

「合宿は(初めての)100日」だったそうだ。それまでは数日だったそうで。

「世界選手権で銀メダルを取った70年が選手としてはピークででしたが。(札幌)五輪までもったのは合宿のおかげでしょう」

地の利を生かすため準備も入念だった。本番3カ月前の前年11月から準備に入る。近郊から自衛隊のトラックで雪を運び宮の森の斜面に張り付けた。その年北半球は記録的な暖冬、日本人選手に(ジャンプ台を)早くから飛ばせ。ヨーロッパ勢に差をつける作戦だった。

五輪のために新設した(宮の森の)台の構造も日本に有利だったそうだ。助走路の斜面の角度は30度で、世界で一般的な35度に比べて平べったい。70年秋の完成から練習を積んだ日本選手に対し、外人選手は1年前のプレ五輪が初体験。外人選手は慣れなかったのでは。

五輪後北海道内にはジャンプ少年団が続々と誕生し80年代には20チーム近くを超えた。現在は少子化のため半減したようだ。

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長野五輪以後は、ジャンプ競技の成績の低迷が続く今。少子化や、費用負担のことで競技人口のすそ野が少なくなっているせいなのか。2年後頑張っているのは女子のみ(たぶん女子のジャンプ競技は実現しているのでは)ということにならないように・・。